再びの孤独と焦燥感
夜な夜な出かけ、呑んだくれて遊びまわる。
満たされていた日々もそう長くは続かなかった。
こんな自分に嫌気がさしたのだ。
真面目に生きたい。
これ以上堕ちていきたくない。
然し乍ら、今の私にとって寂しさと闘うのは容易ではない。
特に夜は一人でいると気が狂いそうになるが、誰かに助けを求めたくても全てをさらけ出せる人もそういない。
私のように地方出身者の友人は寂しくなれば実家の家族に連絡したり時折家族を一人暮らしの部屋に招待しているようだが、私の場合はそうもいかない。
夜勤のバイトを増やして忙しくなれば少しは気が紛れるかもしれないと思い、がむしゃらに働いた。
以前の勤務していた夜勤バイトは辞めてしまったために新たにバイト先を探すところから始まった。
多くの人がおそらく一度は聞いたことのあるであろう会社のカスタマーサポートセンターで働くことになった。
覚えなければならないことが非常に多く、のっけから前途多難。
マニュアルもあるが書いていないことにも対応しなければならないので日々新しいことを学んでいった。
毎日のように働いていればきっと仕事にも慣れるだろうと信じて学び働き続けること3ヶ月。
「いい加減にしろ。」
ついに言われてしまった。
気付いていた。焦っていた。自分に苛立っていた。
初歩的なことも覚えられずにミスを連発していた自分は注意されることが多く、その都度自分を奮い立たせ同じミスは繰り返さないよう、責任感を持って働こうと気を張っていたがそれでもまた同じミスをしてしまう。
マニュアルは読み込み、わからないことはメモをとって、時間があれば復習をする。現場では積極的に実践に移していたが、どうもミスを繰り返してしまい結局周りの人の仕事を増やしてしまっていたのだ。
同じ時期に入社したアルバイトの人たちはどんどん新しいことを吸収してすっかり仕事をこなせるようになっていたので失態を繰り返す私は当然目立つ。
また失態をしてしまったら、怒られてしまったら、迷惑をかけてしまったら…
いつも焦ってる感じがするからもっと落ち着いて、と言われても焦らずにはいられない。
そうならないように気を張るもそれが極度の焦りと緊張を生み、頭が真っ白になり、そしてまたミスをする。
この頃になるとお客様の電話を取っても仕事に対する脅迫観念に苛まれ元々吃音気味であることが気になっていたがそれもだんだんと顕著になり、うまく喋れなくなっていた。
だんだんと仲のよかった同期にも見下されたり嘲笑されるようになってすっかり落ち込んでしまい職場へ行くことが怖くなってしまった。
歪み
もう、誰でも良かった。
その日かぎりでも、一瞬でも
本物だろうが偽物だろうが
愛してると言われたかった。
誰かに必要とされたかった。
欲を言えば執着されたかった。
高校時代から付き合ったいた彼との別れを機に、私は歪み始めてしまった。
落ち込んでいた私を見かねて友人がクラブに誘ってくれたことが事の始まりであった。
もともと派手なタイプの人間ではなかったゆえはじめのうちこそ圧倒されていたが、酒が進むにつれて我を忘れてガラにもなく騒ぐ。
完全に酒の力を借りてはいたけれど大勢の人と朝までワーワー騒ぐのが楽しくて寂しさも紛らわすことができて、すっかりクラブ通いをするようになってしまった。
言い寄ってくる人がいれば都合よく甘え、2人で抜け出して朝まで過ごすことも少なくなかった。
人の腕の中って本当に心地いい。
あたたかくて、落ち着く。
誰と過ごしていても「じゃあまたね」と言う"朝の挨拶"が怖くて
誰が叶えてくれるわけでもないのに時間を止めて、と何度も心の中で念じては虚しく朝を迎えた。
虚無感
この頃の私の心情を表すのに丁度いい言葉。
本当は、本気で愛し合える人に出会いたいと思っているのに、やめられない。
真剣な交際を申し込んでくれる人もいたが、また終わってしまうのが、悲しい別れを迎えるリスクを背負うことがとてつもなく怖くて抜け出せない。
その日のことだけ考えて"手頃な愛"を求めては溺れていった。
そんな自分にどうしようもない嫌気がさすのにもそう時間がかからないということを、この時の私は考えてすらいなかった。
コントラバスのキーホルダー
「海外の支店に異動になった」
頭が真っ白になった。
彼が異国の地へ行ってしまう。
かねてより海外勤務に憧れていた彼の栄転
喜んであげるべきなのだが、そうもいかない。
しかし受け入れなければならないのだ。
時間をかけて話し合った結果、
お別れするという決断に至った。
一度は遠距離恋愛に踏み切ることも考えたけど
地球の反対側に行ってしまう彼とは年に一度会えるか会えないか、そしていつ日本に帰って来れるかわからないという不安と
頻繁に連絡して彼の仕事の邪魔になりたくなかったから
それに、夢に向かって一生懸命仕事を頑張ってほしかった。
「数年後日本へ戻ってきて、
俺のことまだ好きでいてくれたらもう一度一緒になろう」
出国までの3ヶ月間はできるだけ多くの時間を一緒に過ごすことにした。
もちろん、楽しい思い出が増えれば増えるほど辛くなることは重々承知していたけど、最後の一瞬まで愛しい人のそばにいたかった。
旅行へ行ったり、美味しいものを食べに行ったり、お家でゆっくり過ごしたり
搭乗時間ぎりぎりまで、彼は出国ゲートの前で泣き噦る私を抱きしめてくれた。
一緒に涙を流してくれた。
3年間、ありがとう。
お守り、といってコントラバスのキーホルダーを私に渡し、彼は夢とともに旅立っていった。
このキーホルダーは今でもしまってあって、時々眺めてはあの頃を思い出す。
時間が経つと段々と記憶も薄れてくるものだ。
こうやって書き起こしてみるとあれもこれも思い出したりして面白い。
いや、やっぱりいまだになんとなく切ない。
大好きな彼の人生の門出。おめでたい。
でも、失ったものは大きかった。
また私は心の支えを失ってしまった。
手に入れた自由、再び襲いかかる苦悩
気がつけば受験シーズン。
行きたい大学の候補はいくつかあったが、
「名の知れない大学には行かせない」
と志望校への進学を反対されてしまった。
今になってもどんな進路を選んでもその人の頑張り次第なのでは?と思うところだが、そんなことは言えなかった。
口ごたえすれば殺されてしまうかもしれない、という極度の強迫観念から逃げることはまだできずにいたのだ。
受験期はこれまでにないほど勉強をした結果、無事関東の某国立大学の志望していた学部への合格を果たし、祖父母の協力のもと入学金等も支払えた。
自宅通学ができる距離ではなかったため、
高校卒業と同時に苦しい思い出が詰まった実家という名の地獄を飛び出した。
一人暮らしをすることに関しては思いの外何も言われず
むしろ、最後まではやく出て行けと言わんばかりの態度を取られたので気が楽であった。
両親としては体裁を整えることができればそれで十分なのであろう。
18歳にして両親からの虐待や罵倒から解き放たれて、ようやく手に入れた自由。
徐々に友人と呼べる存在も増えていき、自然と笑えるようになり、心の傷も少しずつ癒えてきた。
朝はやくから夕方まで授業があったためバイトは主に夜勤で、時間のある時には昼間も働き、とにかく動き回っていた。
休みの日は友人と遊びに行ったり、既に社会人になっていた彼が会いに来てくれたり。
学業にバイトに時々遊びと
目まぐるしいほど忙しい日々。
それでも毎日が楽しかった。
初めての夏休み
大学生活のおかげで心にゆとりを取り戻したこともあってか、ずっと恐れて恨んでいた両親ともひょっとしたら距離を縮めることができるかも、頑張ればお互い心を開けるのではないか、と思い恐る恐る帰省をすることを決意。
実家に帰るのに恐る恐る…ってそんな人滅多にいないのでは、と思うが。
ドキドキしながら玄関を開けてみる。
居間に行くと母の姿が。
久しぶりに娘の姿を見ても無反応な母に、ただいま
!と笑顔で声をかけてみても返事は「ああ、来たんだ」の一言。
そしてすぐに目をそらされた。
甘かった。
あーあ、
帰ってくるんじゃなかった。
もう空元気を出すのも疲れた。
やっぱりな、という諦めと、
淡い期待が消えた悲しみと。
持って行ききれなかった荷物だけ持ってこの忌々しい場所を後にしようと自分の部屋へ向かった。
ない
全て消えていた。
勉強机も、布団も、本棚さえも
私の部屋にあったありとあらゆるものが全て
処分されていた。
中学生の時に大きな家に引っ越して、与えられた私の部屋。
日当たりの悪い物置のような部屋だったが、それでも私にとってはこの家の中で唯一落ち着ける現実逃避のためのシェルター的役割を果たしていたゆえ、たくさんの思い出が詰まっていた。
趣味で描いていた絵も、卒業アルバムの中も、お気に入りのぬいぐるみも
なにも、ない。
あまりのショックに胸が苦しくて、悲しくて、
そのまま家を飛び出した。
その日は少し離れた祖父母の家に寄り、大学生活の近況報告をした。
祖父母はいつもあたたかく迎えてくれる。
おばあちゃんの煮物、本当に美味しい。
小さな頃は1人で祖父母を訪ねることは禁止されていたが、中高生になって時折顔を出すようになった。
祖父母は両親と3人仲良く暮らしていると信じていたため、どうしても家庭内不和については話すことができなかった。
きっと、本当のことを知ったらひどく悲しんでしまうだろう。
今、私にできる祖父母への恩返しは元気な姿を見せることだけなのだから。
私の夏休みの帰省は1日にして終わり、その後再び帰ることはなかった。
初めてのキス
両親に対する罪悪感はあった。
見つかれば、また怒られる。
暴力をふるわれる。
ましてや今回は相手が3つも年上だ。
彼が被害を被る可能性もなきにしもあらず。
それでも初めて生きた心地がしたのだ、失いたくなんかない。
彼も状況を理解してくれているので頻繁ではないが逢瀬を重ねた。
家庭の暖かさを知らずに育ち、
学校でも素を出せずに心を閉ざしていた私は気を遣ってくれたのか、デートの度にいろんなところに連れていってくれた。
動物園や遊園地、おしゃれなカフェ
一緒にいるだけで自然と笑顔になる。
小学生の頃に"鉄仮面"とあだ名のつけられた私としてはなんとなく慣れない感覚であった。
普段は両親に怪しまれないように19時には家に帰るようにしていたが、年末になり母が1週間里帰りをすることになり、父に関しても毎日帰宅が深夜0時を回らなかったことがなかったため、クリスマスは少し遅くまで彼といられるということで少しだけ遠出をした。
19時を過ぎると「はやく帰らなきゃ」という焦りと「今日はまだあと少し一緒にいられるんだ」という喜びが複雑に混ざり合う。
夕闇を包むイルミネーションの光がまぶしくて更に鼓動が高鳴った。
とにかく幸せで、風は冷たくても繋いだ手は暖かい。
脳内では前日のコンサートで彼が演奏をしていたクリスマスソングが流れる。
とても心地よい。
時間とは平等ながらも時としてその流れの速さは残酷である。
あっという間に帰路に着く時間。
遅くなってしまったから、と自宅付近まで送ってもらうことになった。
最寄駅から自宅へ向かう途中にある大きな公園の中の並木道を歩く。
昼間はそこそこに人の往来があるこの道も、真冬の夜では全くといっていい程ひとけがなくしんとしている。
楽しかった今日も終わってしまう、
そう思うと自然と無言になってしまっていた。
並木道の中程で道を逸れる彼に私も続く。
急に立ち止まり、こちらを見つめる。
ゆっくりと顔を近づけ、触れるか触れないか、くらいの距離で一瞬止まった。
「嫌じゃない…?」
何が起きようとしているのかもわかるし嫌なわけがない。
ただ、心臓が張り裂けそうなほど緊張していた。
ただ無言で頷くと、そっと唇と唇が重なった。
いい匂いがした。
香水の匂いの類ではなく
形容し難い、優しい香り。
なんだか、もう全てがどうでもよくなった。
両親が不倫していても、邪険にされても、暴力をふるわれても、必要とされなくても愛されなくても。
ただ、彼のことだけは絶対失いたくない。
その一心だった。
新しい出会い
以降、もう一切の希望を失った。
まわりの"友人"たちが高校生活をエンジョイする中
1人取り残されたようだった。
もっとも、"友人"と強調したのも
私には友人と呼べる友人がいなかったからだ。
その場を繕う努力はしていたものの、
友人としての深い関係は持ちたくなかった。
たとえ彼/彼女らが私のことを友人だと思ってくれていたとしても
私はそうは思えなかった。
人は簡単に人を裏切る。
会わなくなれば、記憶から消えてしまう。
なにより、人を信じる力を失っていた。
それでも何処かに自己承認欲なるものが潜んでいて、誰かに必要とされること、愛されることは、絶望の渦中にいながらも完全に諦めきることはできずにいた。
特に音楽大学を志望していたわけではなかったが、クラシック音楽やジャズを聴くのが少ない楽しみの一つであったこともあり中学生の頃から音楽大学の文化祭に足を運んでいた。
運命的な出会いをした高校2年の秋。
小さめの教室で行われていた室内楽のコンサート。
そこで男子学生が弾いていたコントラバスの演奏に鳥肌が立つほど魅せられた。
教室が小さかったこともあり、最前列で終始彼に釘付けになっていた私はさぞ奇異なオーラを発していたことであろう。
演奏が終わり、居ても立っても居られなかった私はコントラバスを持って立ち去る彼の後を追いかけ声をかけた。
感動しました!なんて安い言葉しかとっさには出てこなかったが、それでも内向的な性格の私が追いかけてまで初対面の人に話しかけに行ったことは10年以上経った今でも驚きだ。
こちらもまたシャイな彼は「聴きにきてくれてありがとうね」とはにかみながら答えてくれた。
どうしてもこれで会話を終わらせたくなかった。
先述の通り、私は音大に進学する予定は(お金も)なかったが、クラシック音楽好きな父が私にフルートやピアノを習うよう教室に通わせていたため、それを口実に音大への進学を志望しているのでお話を聞きたい!と会話を続ける事を試みた。
思惑通り、食いついてくれた。
大体2〜3分程度話し、「もう戻らないと」という彼は私の携帯電話にメールアドレスを打ち込んでくれた。
今度お茶でもしながらゆっくり話そう、と。
その日以来毎日メールのやり取りをするようになった。
話はどんどん弾み、ご飯を食べに行こうとまた会う約束をし、日時を決めた。
自分に興味を示してくれた人がいることに対する喜びを感じる一方で、母によって初めてできた彼氏と引き離された苦い思い出を思い出す。
いけないと思いつつも自分を止められなかった。
私も、誰かに必要とされてみたい。
再会の日の当日
両親に対する恐怖に苛まれながらも、その足は約束の場所へ向かっていた。
少し早めに着いたつもりだったが既に彼はそこにいて、笑顔で私を迎えてくれた。
他愛もない会話だったが、久しぶりに楽しくて仕方がなかった。
冗談を言って私を笑わせたり驚かせてみせようとする時の彼の悪戯な笑顔が可愛くてたまらない。
何度か食事に出かけたりするようになり、どんどん彼に対して心を開くようになっていった。
ある日、食事を終え、腹ごなしをしようと海辺を散歩している時、私は自分の生い立ちや家庭環境についてを話していた。
自虐的かつ自爆的な行為である。
加えて、今まで誰にも話したことのなかった辛すぎる思い出の数々。
そんなことを人様に面と向かって話して、お前に羞恥心のかけらもないのか!と思うところではあるが彼にもっと自分のことを知ってもらいたい一心で、半ば突発的に話し始めてしまった。
一通り話し終えると、近くの階段に座った彼。
その横に座る私。
無言。
やってしまった、引いてしまって何も言えないんだ。
漣の音だけが気不味く響く。
冬の始まりを知らせる冷たい潮風のせいで余計に血の気が引いた。
後悔の念と恥ずかしさでいっぱいになり俯いていると、突然彼の両腕が私の背中にまわった。
時間が止まった。
こんなドラマ的展開があるものなのかと、不覚にも初めて自分の人生に感心した瞬間であった。
暖かい。
「よく頑張ったね」
ああ、もうまさにこれだよ、私がずっと求めていたのは。
一瞬少しだけ顔を上げた彼は静かに涙を流していた。
こんなに近くで誰かの涙を見るのもその時が初めてだったのではないかと思う。
そしてその涙が自分のことを思って流れているものだと思うともう何も言葉が出ない。
「もう大丈夫だよ、大丈夫だから…」
そして再び強く抱きしめられた。
物心ついてから人に抱きしめられるのも初めてだった。
世の中、こんなに優しい人もいるんだな。
しかも、知り合って日も浅い人に対してこんなに一生懸命に向き合ってくれるなんて。
たった今起きていることが、あまりにも現実味を帯びていなくて戸惑いつつ、心は喜びとようやく実感することのできた安心感で満ち溢れていた。
母に外に放り出された幼き日々のことを思い出す。
寒空の下泣きじゃくっていた私がほしかったのは、こんな暖かい抱擁だったと気付いた瞬間だった。
初恋
高校生になり好きな人ができ、
そう日も経たないうちに晴れて恋人同士になった。
こういうことって、「パパには内緒ね!」ってお母さんとウキウキ話したりするものなのかな、なんて憧れを抱きつつ、元々両親との会話が少ない(というか話しかけてもまともに取り合ってもらえない)私は報告することもなかったが。
人を好きになる、恋心を抱くという初めて経験。
一緒にいるだけで楽しい、何でも話せる。
誰かを愛おしく思うってこんな気持ちなんだと16、7になって初めて知った。
辛い家庭のあれこれも、彼と一緒にいる時間は忘れられる。
少しずつでも心の穴を埋めていって、人を愛すこと、人に愛されることを学んでいきたいと心から強く思った。
記念日に向けて手作りのフォトアルバムやお菓子などプレゼントを用意するのも大きな楽しみだった。
いつも、満面の笑みで喜んでくれるから。
ウブな恋愛。
アルバイトはしていたものの自由に使えるお金もあまりなく、デートといえば学校帰りによるショッピングモールにでのウィンドウショッピングくらいで、映画を観たり少し電車に乗って海を見に行ったりするのがたまの贅沢だった。
しかしこのショッピングモールでのデートが悲劇を生んだ。
ある日いつものように彼と手を繋いでショッピングモール内を歩っていると、後方からわたしの名前を呼ぶ声がした。
振り向いてみるとそこには激昂した母の姿が。
「この、不良娘が!」
そう叫んだ数秒後にはビンタされた頰がジンジンと痛んだ。
私は母に腕を掴まれ、彼を残したまま家へ連れて帰られた。
なんてことをするのだ、と怒りで全身が震えるもどうしようもない。
彼は呆気にとられ途方に暮れていた。
そこで話し合いをするにも店に迷惑をかけてしまうだろうと思ったらもう連れられるまま帰るしかないのだ。
家に着くと母の怒りはヒートアップ。
「浮かれてんじゃねえ」「男と出かけるなんて許されねんだよ」と延々と怒鳴られていると父帰宅。
しばらく立って黙って聴いていたと思ったら急に頬を打たれた。
次に見つけた時には殺してやると言わんばかりに責め立てられ、怯えてしまい何も言えなかった。
次の日に学校へ行くと担任の先生に呼び出された。
困ったような呆れたような顔でため息をつきこう言い放った。
「あいつと付き合うのはやめとけ」
なぜ学校の先生にそんなことを言われなければならないのかよくわからなかった。
先生すら何か反対する理由があるのだろうか。
なにもやましいこともないのに。
「お前の父ちゃんから電話が来た、すっげー剣幕だったぞ」
そう言われた瞬間目の前が真っ暗になった。
なぜこんなにたくさんの人を巻き込むのか。
どうして、こんな仕打ちを受けなければならないのか。
悲しくて悲しくて堪らなかった。
担任の先生から彼にも、もう私とは関わらないようにといったらしく、その日以来彼には避けられるようになり話しかけられることもなくなった。
事情を聞いた彼の友人たちも私を奇異な奴だという目で見るようになってしまったのである。
恥ずかしさと、悲しさと、悔しさが乱れ入り混じる。
もう消えてしまいたかった。
こうして私の初恋が終わり、希望の光も見失った。