自己管理をしよう!
自分と向き合うためにマインドマップを作り、まずはじめに取り掛かったのが自己管理。
とにかくWordにこれまでの失敗と改善策を書いていきました。
① 予定の管理を意識して徹底できるよう、自分の予定をいろんなところに書く。
スケジュール帳、部屋のカレンダー、携帯のカレンダー…
スケジュール管理は本当に苦手で「やっちまった(゚Д゚)」なんてことが幾度となくありました。笑
・友人と出かける予定を入れていた日に違う予定をかぶせて入れてしまう(しかも2〜3コも)
・単発のバイトを入れていたにもかかわらずあとからその日は働けない(用事があった)ことを思い出し、キャンセルする、というのを3度ほど繰り返しお仕事がもらえなくなってしまった…
・テスト勉強やレポート作成を先延ばしにしすぎて結局徹夜 etc...
…もう話にならないですよね。
自覚しているのですが油断をするとすぐにやらかしてしまいます。
②時間配分の徹底
時間の管理もなかなか杜撰かつ悲惨なものでありました。
例えば、
・家事の合間にチョット携帯をいじるつもりが1時間くらい経っている
・出かけるときは時間を逆算して準備しているのに何故か時間の配分がうまくいかない、遅れてしまう
・何かに夢中になると時間を忘れる、他にすることがあることすら我にかえるまで忘れる
挙げようと思えばキリがないのも悲しいことです。
「ADHDでない方にも起こりうる」「そんなこと誰にだってあるよ」なんて近しい友人に言われることもあったのですが、その頻度が尋常ではないのです。
自分でもその度に気をつけよう、気をつけよう、と思うのですが、だからと言って改善されるものでもなく…
そんなわけでまずはこれらを改善するべく自分ルールを設けることにしました!
☆スケジュールはどこにいてもすぐ確認できるようにしておく
→薄いものでもいいのでスケジュール帳とペンを常備。スマホのカレンダーの機能は予定が近づくとホーム画面に表示して教えてくれるので◎ Googleカレンダーで予定をクラウドでシェアして他の端末でも確認できるようにすると尚良し。
☆予定が入ったらすぐにスケジュール帳に記す
→「あとでやろう」は大敵
☆何かを始める時は優先順位や時間配分を考えメモに書く (それが日常的に習慣にすべきことであれば慣れて体に染み込ませるよう意識する)
→終わったらチェックをつけたり二重線で消したりすると達成感がありますね。時間内に終わらせることができればもう気分爽快!!
そしてなにより、それらを
☆怠らない!
(笑)
あとで、あとでと先延ばしにする悪い癖を叩き直すところから始めました。
とにかく"継続"が苦手な私は何度も自分で決めたことすらすっぽかしてしまうこともありましたが、それでも失態は驚くほどに減りました。
あとは自分を奮い立たせるために格言集をよく読みました。
これもかなり効果大です。
勇気付けられると心持ちも変わるものです。
その日の気分によって読み返すためにポストイットを色分けして付けたりなんかもしていました。
1つ1つが短くも重みが大きいです。
勇気付けられました。
☆オススメ
時々ブログの終わりに私が心揺さぶられた格言をみなさんにシェアしていきたいなと思います。
ではさっそく、今日の格言
"Aut viam inveniam aut faciam."
「私は道を見つけるか、さもなければ道をつくるであろう。」
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- Hannibal
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さよなら、コンサータ
結局、特別に効果を発揮しなかったコンサータさん。
というより逆に服用すると敏感になりすぎて気疲れしてしまうことに気づいてしまった。
信じて服用し続けようか迷ったけれど薬代もばかにならないので、3ヶ月以上服用を続けて効果が実感できないものにお金を払い続けるのもなんなだかなぁ…と思い、4ヶ月目でカウンセラーさんと先生に相談をして服用をやめました。
やめてみたところでただあの覚醒したような感覚がなくなるだけでパフォーマンスが落ちるわけでもなく、いつも通りに過ぎていく日々。
いつも親身になって相談にのってくれるカウンセラーさんのと今後についてを話し合った。
薬物療法をやめた今、どうやって治療を続けていくのか。
いかにして自分と向き合っていくのか。
まずは己を知ることから、ということで自分の嫌いなところ、不安を感じているところを書き出してみることにした。
(↑本当は当時の実物をまだ持っているのですがメモ程度の雑なものなのでこちらを載せます。)
ざっと思いついて挙げられたのはこんなところでした。
がむしゃらに書いたのでめちゃくちゃですが。
うーん。
これだけでも自分の心が赤裸々になってしまっているようで恥ずかしい…
ここまで書いたところで次は打開策についてを考えていく。
まずは何かに刺激をされなければならないのではないか、ということで自己啓発本やHow to本を読んで自分を奮い立たせてみる計画。
同時に積極的に外に出て(むやみやたらに遊び歩くのではなく)人とコミュニケーションをとる。
極度の人見知りが会話力に呪縛をかけているのではと疑い、敢えて初対面の人と出会う場面をできるだけ増やしてみました。
それだったらついでに趣味である語学が楽しめる英会話カフェや海外旅行もできたら尚良いのでこれも組み込んでみる。
…なんて色々と計画を立ててそれを実行に移すことが恐らく一番苦手なことの一つな私。
時には時間や縛り、苦しみを忘れる時間も必要。
緑の多い場所で安らぎを得てリラックスもしよう
一番大切なのは自己管理。
とにかく、メモる。
「これぐらいなら覚えていられるだろう」の感覚は罠。
種類分けして、振り返りをする習慣をつける。
まずはこれが実行できれば上出来だ、と言い聞かせて作り上げたこのマップ。
コンスタントに実行していってはパンクしてしまうのではないかと危惧しマイペースに取り組んでいった結果、様々な変化がありました。
一つずつ、これから詳細を書いていこうと思います。
コンサータ
疑問を持ち始めたのは薬物療法を始めて1ヶ月が過ぎた頃。
「これ、効いてるの…?」
自分の体に変化が起きていることは自覚があった。
もどかしいのですが、言葉では上手く言い表せない。
なんだろう、脳内にぐわんぐわんとお寺の鐘が響き渡る、というかその音の振動を間近で常に感じているような…
って全然伝わらないですよね。汗
すごく冴えている。
覚醒ってこういう感じのことをいうのかって思ってしまったくらい。
感覚だけですが、常に意識が全方向に研ぎ澄まされているかのように敏感になっていました。
(私の場合は薬をのんで約2時間ほどで↑のような効果(症状…?)が現れ、大体6〜7時間くらいそんな状態が持続していました。)
ただ、うっかりや不注意、対人恐怖症(主に職場の先輩やお客さんに対して)やそれに伴う吃音は全くもって治らない。
仕事で使うボールペンを何本も何本も無くしては新しいものを買うことを繰り返したり、連日鍵を閉める/持って行くのを忘れたり、耳や目から得た情報処理に時間がかかってしまったり(あげく混乱してしまう)、と最早ミスとも呼ばないくらいしょうもないことで呆れられることは今までと変わりはなかった。
インターネットで調べてみても割と評判が良さそうだったコンサータだが、言うほどADHDや鬱の症状に変化はありませんでした。私には。
薬の効果には個人差があるのかなと妥協していたけれどこんなにも効き目に差があるのもオドロキ。
初めの頃はなんだか効いているような気もしていたがあれは単なるプラセボ効果だったのではないかとも思い始めました。
そうなるとやはりまた辛くなる。
行き場のない悲しみに暮れて絶望要塞に閉じ込められ途方にくれること程しんどいことってわたしにとってはそうそうない。
その後半年ほど服用を続けていましたが、特に効果を感じられることはありませんでした。
希望の光
正直、大学から紹介状をもらって行った精神科の先生は淡々としていて冷たかった…。(精神科や心療内科の先生は仏のように優しいものだと勝手に想像?勘違い?していた自分も良くないのですが。)
他のクリニックを当たることも考えたがまた初診料等取られてしまうのも癪なので辞めました。
自分と向き合うと決めてから知識が全くなかった"大人のADHD"についてインターネットや書籍で片っ端から調べ、同じように苦しみながら頑張って生きている人のブログ等を読んで励みにしていました。今もしています。
精神科の先生は冷淡ながらも話はちゃんと聞いて真剣に私と向き合ってくれている(ような気が徐々にしてきた)ので定期的に通いながらコンサータの服用を継続。
大学の相談室にも足繁く通い、親身に相談にのってもらいました。専属のカウンセラーさんが私の母くらいの世代だったこともあり、もしかしたら心のどこかで迷惑だと思われてたたかもしれませんが、私は彼女のことを自分の母であるかのように慕っていました。
実母に甘えられなかった分、心を開けなかった分、たくさん甘えてしまったなあ。
それでもいつでも優しく私のことを受け入れてくれた彼女には卒業した今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
もとより極度のあがり症で人と話すことが怖く大の苦手だったので、カウンセラーさんの勧めで対人関係トレーニングにも参加したりしました。
そこには私と同じように対人恐怖症の人や吃音で悩んでいる方々が数十人いて、率直な感想としてはとても安心した、というか孤独感が幾分和らいだ。
中高生だった頃から吃音やあがり症、緊張しやすい性格が祟って人から避けられたり「変なやつだ」と陰で言われているのを知っていたので、だからこそなるべく明るく振舞おうと努力していたものの、心の中では自分はコンプレックスの塊だと蔑んでばかりいたため、お互いに理解し手を取り頑張ろうと励まし合える仲間に出会えたあの日の経験はまるで希望の光。
中には私の幼少期と同じような経験をされている方もいて、悲しいことではあるけれどお互いそれを乗り越えて生きてきた"きょうだい"であるような感覚にさえなりました。
これがコンサータ服用開始から3週間目くらいかな。
一歩踏み出したことで何か変わるような期待でいっぱいな頃の話でした。
(追: ですます調に変えてみたら少し書きやすくなった…ような気がしなくもない!)
余談ですが
中途半端なタイミングですが、改めまして、私真奈美と申します。
読者になってくださった方、スターをくださる方、そしてこのブログに訪問してくださる方にこの場を借りてお礼申し上げます。
いつもありがとうございます!
過去を振り返り書き起こしている途中ですが初めてのブログということもあってか上手く文章にできず非常に悩ましいところです。
思っていたよりもブログって難しくて奥が深い…!
これまでを思い返すと「辛いことばかりだったな」と気持ちがどんよりしてしまうこともありますが、文字に起こすことでやはり少しずつ気持ちの整理もできているような気がしてきました。
苦悩と葛藤、それだけでなくそこからの打開策を試行錯誤しながらここまできたのだな、と感慨深くなることもあったりして…
辛いことがあっても頑張っていこうという気持ちにもなります。
拙い文章ではありますが、これからもLive or Dieをよろしくお願いいたします。
ADHDと鬱
意を決して入った大学の相談室。
白を基調とした明るい部屋。
優しげなオルゴール音楽も流れていて荒んだ心を暖かく迎えてくれる環境、といった第一印象だった。
優しそうな専属のカウンセラーを紹介され、悩んでいることから家族構成等まで色々と質問された。
秘密厳守のポリシーがあるとはいえどもやはりそう簡単に人を信じて自分を曝け出すこともできず、初めてのカウンセリングでは家族のことに関しては当たり障りのないことしか言えなかった。
それでもカウンセラーは何かを察したのか、「それは大変でしたね」と悲しそうな表情で私を見つめた。果たして本当に察していたのか否かは謎だが。
一通り話し終えると、日を改めて"テスト"をしたいと言われまた後日ここを訪れる予約をした。
約束の日にまた相談室を訪れると2冊の冊子がテーブルの上に置かれていた。カウンセラーの言う"テスト"であった。
記憶は曖昧だが小一時間程度であっただろうか、テストに回答を記してその日は帰宅した。
そしてそのまた数日後、結果が出たとのことでまた相談室を訪れるとカウンセラーにいつもの個別相談室に案内された。
テストの結果、発達障害と鬱の疑いがあるとのことだった。
そのままカウンセラーの付き添いで医務室へ行き、先生に軽く問診を受け某病院の精神科への紹介状を書いてもらい、その場で予約をとりその足で病院を訪ねることに。
精神科でも問診を受け、そこでも改めてテスト等検査があるとのことだったが時間がかかるらしく数日後に予約を入れた。
本来であれば診断後の処方であるが、問診して発達障害である疑いが濃厚であるのと私が辛そうだ、とのことでその日に取り急ぎ次回診察時までの分のお薬を出してもらうことになった。
(↑初めて処方された時の。たまたま写真を撮っておいたものがここで出でくるとは。)
その後検査の結果やはりADHD、そして二次障害として鬱を併発していることが知らされた。
最初にその疑いがあると言われた時はまさか自分が、と不安に思っていたがらずっと長いこと悩んでいたこともあってか、結果そうだったと告げられて少しほっとした部分も正直なところあった。
この頃からほんの少し、少しずつ、自分を受け入れられるようになっていった。
はじめの一歩
お客様対応では段々と簡単なことですら答えられなくなって、言葉に詰まり、しどろもどろになり、お客様にも上司にもこっぴどく叱られる。
これまで私を励まし優しく見守っていてくれた人たちも愛想を尽かして苦笑い。
とうとう同じ部署のほとんど全員から冷たい目線を向けられるようになってしまった。
困らせようだなんて1ミリも思っていない。
毎回新しいことの勉強、復習を重ねて読み込んだノートはもうボロボロ。
出勤の度に「最低でも足手まといにはならないように、自分の仕事はこなそう」と意気込むのだが何かしらトラブルを起こしてしまうのだ。
言われたことすらできない。
マルチタスクがどうしてもこなせず、一気に2つ3つぐらいのことを頼まれても1つの仕事に集中してしまうとその他頼まれていた仕事の存在すら忘れてしまう。
一番問題なのはこの集中力の欠如が祟ってお客様対応をしている最中に他の人の声が耳に入ってきてしまうと自分の仕事や今何を言っていたかがわからなくなりパニックに陥ってしまうことだった。
今でも、よくあの時解雇されなかったなとしみじみ思う。
とにかく自分が憎くて周りが怖くて酷く辛かった。
出勤するまでの道のりでは強い吐き気に襲われ、目眩を起こし、終いには職場に近づくにつれて手が震えるようになり、「このままでは自分が崩壊していってしまう」と危機感を覚えた私は誰かに助けを求めずにはいられなくなっていたのだ。
大学の相談室の前で入室を躊躇う。
これまで小中高校にも相談室なるものは存在していたものの、悩みが悩みであっただけに相談員に心を開いて全て打ち明けるわけにもいかず一度も足を踏み入れたことはなかった。
しかしもうそんなことは言っていられない。
家族に見捨てられ、社会でも自分は邪魔者のレッテルをはられてしまったのだ。
縋りたい、その一心で相談室を頼ってみることを決心した。